「春すぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香具山」の万葉集の歌で有名な持統天皇は日本で初めて条坊制の本格的な都城をつくった天皇(女帝)としても知られています。先日そこを初めて訪れました。
香具山
奈良は渡来人の「ウリナラ(我が故郷)」の言葉から由来するという説がありますが、
この地に立つと昔行った韓国・慶州の古都の景色と確かに重なります。平野の中に丘のような小山が点在する景色はまさに慶州で見た景色にとても似ています。
今でも広大な平地の中に、北に耳成山、西に畝傍山そして東に香具山の大和三山を見る事ができる藤原京跡は、壮大な都であった事が想像できます。耳成山や畝傍山が可愛らしい円錐形の小山に対し、香具山は横に広がる大きな山で、歌から想像する山のイメージとは少し離れた印象を持ちました。そして意外だったのがこの地が水捌けの悪い湿地帯であること。
耳成山 畝傍山
帰ってから調べてみると、中国の条坊制を形ばかり真似てつくったものの、水利の知識までは伝わらなかったので、このような湿地帯に都を作ることになったのではないかとの事。水はけが悪いことで疫病も蔓延し、そのため完成を待たずに16年で平城京に遷都したとのことです。
さて、この時代のことを語るならこの歌を外すわけにはいきません。持統天皇が即位する前の王位争いの中で、謀叛の罪で葬られた大津皇子が、伊勢神宮の斎宮であった実の姉・大伯皇女を密かに訪ねた時に大伯皇女が詠んだ歌です。
「我が背子を大和に遣ると小夜更けてあかとき露にわが立ち濡れし」
その後、大和戻った大津皇子は処刑されてしまうのです・・。
(落合 雄二/U設計室 一級建築士事務所)
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