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四君子苑 秋の特別公開に行った話/田中 ナオミ

  • iezukurisite
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

京都 北村美術館の一画に四君子苑という邸宅がある。秋の特別公開に家づくり学校関係者にお声かけを頂き拝見する機を得た。

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四君子苑とは京数寄屋の名棟梁として知られる北村捨次郎が手掛けた邸宅で、主は材木商であり昭和の数寄者と言われた北村謹次郎だ。北村謹次郎は幼少期から茶道に親しみ、長唄・小唄・絵画・版画・清元などの稽古を通じて磨かれた高い審美眼によって選び抜かれた美術品の蒐集をされており、自らの住まいはその美意識の結晶とも言えるものだった。

しかしながら進駐軍の接収により母屋が心無い改修をされたため、返還後に近代数寄屋建築の第一人者の吉田五十八設計で増築された。それぞれの建築の景観を敷地内で見事に繋げているのが、鬼才と謳われた庭師の佐野越守の仕事で、つまり住み手の北村謹次郎+最初の数寄屋を手掛けた棟梁北村捨次郎+近代数寄屋を増築した吉田五十八+庭の佐野越守という美意識の極みの人物4人がこの敷地の中で協奏曲を奏でている。 ものすごい逸材だらけなのだが、お互いを高め合いながら自分を表現して相手を壊さないというギリギリを攻めていてかっこいいのだ。材を選び抜いた新旧の数寄屋に、謹次郎の美術品の遊びが加わって、ため息が出ながら口角が思わず上がる。

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そもそもこの北村謹次郎の居た時代は、白洲次郎と正子と同時期で北村美術館展示の品に青山二郎の名前を見るにつけ、骨董の世界で繋がっていたのではないかと思う。庭の設えに使われた石も土門拳の口利きで手に入れたものだと聞いて、その人脈と彼らが交した会話の質の高さが如何程のものかと想像してわくわくする。住宅を見るという機会は、中でどういう暮らしが営まれていたのかを想像する楽しみでもある。手の届かない暮らしがあって、京都の奥行きはこういう本当の遊び人たちが創ったからこそ生まれていることに感謝する。ちなみに四君子苑とは菊=高貴 (き) 竹=剛直 (た) 梅=清冽 (む) 蘭=芳香(ら)という語呂遊びから名づけられている。


教養のない私は清冽ってなんだ?って調べる有様である。謹次郎と会話できるレベルには到底追いつけない。

※内部は撮影禁止なので画像は入り口のみ。私の下手な画角を出さずに済んでかえってよかったかな。

田中 ナオミ田中ナオミアトリエ一級建築士事務所 

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